共存のカタチを追い求め続けた過去①

 

どうもどうも。やぎです。

 

 

最近は雨が多い日が続いていて、傘を持たない私にとっては結構過酷笑。

ずぶ濡れになって帰ることがしばしばです。

 

はやく夏にならんかなあ、

 

 

前回でおおよそ、やぎの事を知ってくれたはず。

ここから何回かに分けて過去の話をしようかな。

 

 

私の生い立ちや今までの活動。「 動物と植物と人間の共存する世界を創る」って言ってるけど、やぎはいつからこの理念を目指しているのか。どうして起業という決断を取ったのかまで。

 

超★が付くほど尖りまくって一気に公開!いえい~!

 

 

 

 

 

命の儚さ、を知る

 

 

遡ることやぎの幼少期まで。

 

虫取りに行ったり、川遊びをしたり。外でひたすら遊んで虫取り少年のように過ごしていました。セミの抜け殻を集めていたりカブトムシを家で繁殖させていたり、想像つく人はいると思うけど、今と大して変わらない笑。

 

 

 

 

生き物を守りたいって思った初めてのきっかけは小学4年生の時。

生まれからずっと側にいてくれた猫を亡くしたこと。

 

 

白血病」という病気でした。

 

気づいたときは結構進行していて、もって一ヵ月とかその程度だったんだろうな。それから毎日病院に通いつめて、もらった薬をたくさん飲ませたけど、白血病の進行が早くていつ死んでもおかしくない状況で毎日心配で仕方なかった。

 

毛はボロボロだし歯も抜けるし目も虚ろで呼吸も浅い。

日に日に衰退していき生きていること自体が苦しそうだった。でも必死で生きようとしていた。

 

 

それから1週間ぐらい経った時、何度か生死を彷徨う瞬間があって、電気ショックとか心臓マッサージとか?で何度もこっちの世界に呼び戻そうとした。

でも、もうこれ以上良くなることはないってわかっていたしこれ以上辛い想いをしてほしくないという気持ちで、私たちは最終的に呼び戻すことを決断せず安楽死という決断をとった。

 

 

生きるか死ぬかの境目はこんなにも薄く隣りあっている。

この世から大切な存在がいなくなってもう一生会えなくなる。ということを理解するのにすごく時間がかかった。

 

 

 

 

 

なぜ命を落としたのか。

なぜ一向に良くなってないのか。

 

他にできることはなかったのか。

私に出来ることはなかったのか。

 

 

 

なぜなぜなぜなぜ。

 

 

 

小学4年生の私には理解できず、ただ目の前で失う命を見ているだけの ”無力感”

 

 

 

 

 

 

 

でも、この時感じた感情の中で一番大きかったのは ”怒り” でした。

 

なぜ獣医なのに少しでも良くしてくれなかったのか。

 

 

 

 

 

 

獣医なら完治はできなくても良くすることはできると思っていた。

 

 

この腕の悪い獣医さんに見せたことが間違いだったかもしれない、それなら私がどの病気も治せるような獣医になる。と強く決意した。  (すごく上から目線ごめん)

 

 

「一つでも多くの命を助けたい」という想いが初めて芽生えたのはこの時。

この想いは今でもずっと私の中にある根源のようなもの。

 

 

 

そこからやぎの獣医師への道が始まります。

 

 

 

 

 

アフリカゾウの涙

 

 

 

中学高校まで結構勉強してたと思う。内申がほしくてほしくて学校の先生にひたすら媚びてたし、継続と実行力が強みなので毎日図書館や自習室とか行って籠ってたかな。

 

 

そんな高校生のある日。

 テレビかな?広告かな?アフリカゾウの涙という団体が出していたある文章を見つけ衝撃を受ける。

 

 

 


アフリカゾウは15分に1頭殺されている」

「このままでは10年で地球から野生のアフリカゾウがいなくなる」

 

 

 

 

言葉すらでませんでした。

 

私がなにげなく過ごしている15分で1頭も殺されていること。そんなことも知らずにぬくぬくと生きていたのか。と。

 

 

 

 

彼らが殺される原因は、象牙でした。

 

 

象牙つまりゾウの牙は、判子やピアノの鍵盤、三味線のバチにも使用され、高価な値で取引されるため密猟が絶えない。

 

象牙だけ切ればいいじゃない?とも思いますが、象牙はもともと歯なので根元まである。なので象牙を入手する際には頭ごと破壊しなくてはなりません。

 

 

 

 

 アフリカゾウの涙の創設者は2人とも日本人の女性です。1人は滝田明日香さんという方で獣医師免許をアフリカで取得し、実際にアフリカで野生動物の獣医師として治療をしている方でした。

 

 

こんな人になりたい。

世界規模で彼らを守れる存在になりたい。

そう強く思ったのを今でも覚えています。

 

 

実は当時やぎが滝田さんにMessengerのDMで憧れています!アフリカ行きたいです!って送っている履歴が今でも残っています。もちろん返信は来なかったんだけどね。

 

その辛い現実と野生動物を守る仕事があると知り、野生動物に対する情熱はここらへんから湧き始めました。

この団体を知り「一つでも多くの命を助けたい」と思う私のベクトルは世界の動物たちの方へ一気に向きます。それと同時に、救うためには獣医ではなく環境をも含む全てのものを見れなくてはならないと思いました。



そして私は獣医という形にこだわらず動物から植物まで広く学びたいと思い、動物学へ進学します。
 

 

 

「共存」を追いかけ続けた大学生活

 

 

大学に入学し、動物も植物も自然も大好きな人が多いんだろうな、守りたい人が多いのだろうな、とわくわくしていた私でしたが、自分が思っていたより動物に対するパッションが普通でここでも衝撃が大きかった。

 


大学初めの一年は何が正しいのかわからないので結構迷子の時期でした。

バトミントンサークルや犬猫譲渡のボランティアからごみ拾いまで、様々な団体に在籍していました。

 

たくさん入ってたので知り合いも多い方だったけど、この時期は大学生という波にのまれていた感じ。まあ全て楽しかったんだけどね笑。

 

知っている人もいると思いますが、他にも"日本野生動物医学会(野生動)"という学生向けに全国の動物系大学で支部が構成されている組織にも所属してて。当時、私が入った大学での支部メンバーは10人とかその程度で来るのはそのうちの5人とか。ちゃんと活動しているのかも謎なレベルのサークルでした。


まあそんな感じで大学一年生をゆるゆる~と過ごしていたけど、心の中では何かが違うってもやもやを抱えている自分がいて。

 

 

 

 

そんな時、野生動の一環でマレーシアのボルネオ島のツアーの話をもらいます。

 

 

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(熱帯雨林なので降水量が多く、オラウータンボルネオゾウ等の固有種からさまざまな動植物が生息する島)

 

 

ボルネオは二回行っているので詳しくは後半で話すんだけど。

 

 

もうねひたすら興奮しかなかった。

だって今までテレビでや動物園でしか見たことがない野生の動物たちが目の前で暮らしているんだから。彼らが住む環境で同じ空気を吸うことができるのだから。

 

 

こんなにも美しい風景があるってこと、

そこに生き生きと暮らす彼らがいることに心から感動した。

 

 

それと同時に美しい命を人間の手により理不尽に失われてしまうこと。

本当に彼らを救う問題点、「共存」を目指すための解決策にも目を向け始めた。

 

 

もっといろんな世界を見たい、実際の現場をもっと学びたい守りたい。

まだまだ知識と経験不足だったので、もっといろんなカタチの「共存」を見たいと思いました。

 

 

 

ここから野生動物への愛が覚醒。

エンジン全開で残りの大学生活を駆けだしていきます。

 

 

 

大学生活でしたことは主にこんな感じ ↓

資産までとは言えないかもしれないけど大学生活でやってきたこと全部。

 

 

 

 

・マレーシアボルネオツアー

岩手県山地酪農という放牧している牧場へ実習

小笠原諸島ウミガメ保全インターン

・アジア保全学会参加

 →野生動物医学会のアジア版

林業と狩猟をされている木こりの方へ実習

・マレーシアボルネオにて生態系調査(1ヶ月)

・モンゴルで遊牧民になる

・狩猟免許取得して猟友会に所属する

・狩猟系アルバイト

・北海道へ自然保護ボランティア

・野鳥保護NPOでのボランティア

寄付金総額85万円のチャリティイベント主催

 

 

その他講演会多数、、、

 

 

こんだけ色んな場所へ行くのにはやはりお金が必要で。

この時期は、休日8時17時までパン屋行って18時24時まで居酒屋、平日夜は塾講師と最大3つものバイトを掛け持ちしてしながら、毎回の定期的な休みの期間に海外か地方に飛び、ひたすら現地でボランティア。という意味わからない生活をしていました。


普通、思考×行動=結果っていうけど思考3の行動500ぐらいだよね。

行動力と実行力無限すぎてこう見返すと更に実感する笑。

 

 

当時は野生動物や自然を守るのはNPOやレンジャー等、現場しかないって思いこんでいました。そしてそれぞれの地域で問題をこの目で見ていくにつれて守る方法って様々で、皆最終的に「動物と植物と人間の共存する世界」を目指している方向性が同じってことにも気が付いた。
 
 
この世界ってどうやったら創られるのだろう思いながらも、解決策が出せないままただひたすらボランティアや調査を行っていたのがこの時期。そしてこの時から常にこのことを考えていので、今でもこの想いは決してブレることがない。

 

 

それでも現実はそんなに甘くなくて。

 

行くにつれて現場での「共存」の限界を感じていた。

それでも私はただ彼らを守りたくて必死だった。

 

 

「一つでも多くの命を助けたい」「共存を創りたい」という想いで大学生活のすべての時間を費やすほど今まで活動してきたのに、なぜ世界は1ミリも変わらないのだろう。命を救えないのだろう。

 

勿論現場で働いて直接動物の良さや命の重みを伝えることもめちゃちゃ大切なこと。毎日の努力や積み重ねが大切なことは重々承知している。

 

 

 

でも、生き急いでいた。

 

 

15分に一頭失われる命を救いたい、私達の何気ない生活の中で遠くの動物や森林が奪われている現状も解決したい。ウミガメもサイもオラウータンもなどの絶滅危惧種の個体数も増やさなければいけない、一方で鹿や猪やキョンは増えすぎている。

 

守りたい規模が大きすぎてやってもやっても追いつかない。

このままじゃ世界は変わらないよって。

勝手に一人で世界を背負って勝手に一人で全ての問題を解決しようとしていた。

 

 

客観視するとめちゃめちゃ生きづらそう笑。

 

 

 

 

 

 

 

そして、このまま大学2年生の春に突入。

私の人生が変わった2回目のボルネオへの調査の話。

 

 

就活とか知らない状態で、どうやって生きていくの問題。

破天荒だし再現性ない中、強行突破して突き進んでいきました。笑

 

 

 

 

後半に続く〜

 

 

 

やぎ